うどんが好きだ。
と、言うと「讃岐うどん」が好きなのだと勝手に変換されてしまうことが多い。
美味いうどんを表す言葉として『ツルツル』・『シコシコ』等あるが、まさにこれを具現化しているのが讃岐うどんであり、うどん好き=讃岐うどん好きとされても仕方あるまい。
確かに、讃岐うどんは美味い。
丸亀製麺はいうまでもなく、近所の美味いとされる讃岐うどん専門店、そして本場・香川県で地元の方が愛する名店にも足を運んだ。
しかし、何かが違う。
それを知人に告白すると、必ず言われるのが「本当に美味い店に行ってないから」である。
違う。そうじゃない。
そんな違和感を覚えながら40余年生きてきた。しかし、数日前、これの原因をハッキリと認識したのだ。
僕も年老いたんだろうね。最近、ふと自身の嗜好を見つめ直す時間がよくある。その対象に「讃岐うどんに違和感の件」がリストアップされた。そして、三日三晩寝食を忘れて自身へ問いかけ続けた果てに、たどり着いたんだ。
長くなるので結論から言おう。僕はコシのない、のびたうどんが好きだったのだ。
すると、それって「伊勢うどん」じゃない?と言われる。
「伊勢うどん」は以前、伊勢神宮の近所の名店で食べたことがある。敢えてコシを排したフワフワした感じのうどんだ。これも美味い。しかし違う。そうじゃない。
最初からコシがないことをコンセプトに作られたうどんでは僕の欲求は満たされない。
僕が好きなのは「讃岐うどん的なものを目標に生産されてスーパーに並んだけど、おばちゃんに買われて、適当に作られた汁に突っ込まれ、煮込まれ、放置されてノビて汁を吸ってちょっと茶色くなって、クタクタになってしまったうどん」なんだ。
「俺、讃岐うどん先輩みたいになりたかったけど・・・ごめん、ダメだったわ」
そんなうどんを抱きしめたい。
こんな僕の面倒くさい要求を手早く叶えてくれるうどんを発見した。三井食品の鍋焼きうどんである。こいつは出来立ての瞬間からクタクタという画期的な商品だ。
その辺のスーパーで200円ぐらいで売っているので、僕に共感される奇特な方はぜひ試してほしい。
「味が分からねぇ奴」と後ろ指を差されても構わない。もう迷わない。
今、この瞬間から僕は「のびたうどんが好きだ」と胸を張って言おう。
そして、今宵記したこのエントリーが、後に讃岐うどん原理主義者達を震撼させる大事件を引き起こす謎の組織『反・讃岐うどん同盟』結成の狼煙になることを、まだ誰も知らない。