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タミヤ模型、ミニクーパーの生産やめるってよ その1
タミヤ模型、ミニクーパーの生産やめるってよ その2
20年ほど前の昔話だ。
東北の、とある地方都市で大学生をしていた頃、ミニを中心としたイギリス車を扱うショップで2年間ほどバイトしていたことがある。
当時からクルマは大好きだったが、メカニズムの知識は皆無に等しかった僕が採用されたのは、バイトの面接で訪れた時、たまたま入庫していた、一見ジャガー・サルーン風のクルマを見て、「ディムラー・ダブルシックス!!」と感嘆の声を上げたからだと、後から聞かされた。
当時、エンスー道に入れ上げていた僕は、GTロマンという漫画で得た知識があったから、ジャガーとディムラーを見分けられただけなのだが、先のヒトコトを聞いたショップオーナーは僕に運命を感じたらしい。「英国車にすごく詳しい奴がやってきた」と。
後にこの「メッキ」は剥がれ、オーナーを酷く失望させるのだが、そこで英国車はおろかクルマのイロハを叩き込まれた。
そのショップは筋金入りの英国車整備工場であったが、オシャレな事務所を構え、ミニを中心に中古英国車を数多く展示すると共に、オーナーの奥さんの趣味で可愛らしい舶来製の雑貨なんかも販売していたから、若い女の子の来客も結構多かった。
その中にユキノさんという子がいて、同い年だったこともあり親しくなった。
彼女はややポッチャリ気味の地味な感じの女の子であったが、オットリとした上品な所作に、白くキレイな肌、やや栗色がかった髪も美しく、なかなかの美人だったと思う。工業系大学で汗臭い男どもに囲まれた生活を送っていた僕にとってはマドンナような存在であり、色々な意味でも大変お世話になっていた。
照れ臭くて誰も口には出さないけれど、クラスで4番目ぐらいにかわいい子、ある意味大本命とでも言えば彼女のイメージが伝わるだろうか。
当初、ユキノさんは雑貨目当てでよく来店してくれていたが、いつしかミニにも興味を持つようになっていったようだ。
彼女は僕のようなスネカジリ・ボンクラ大学生と違い、地元の商業高校を卒業後、信用金庫に就職して4年目だった。
コツコツ貯金もしていたようだし、親から譲り受けたオンボロ軽自動車の車検も迎えていたこともあり、ある日、AT仕様故にずっと売れずに不良在庫化しつつあったブリティッシュグリーンの中古ミニ・メイフェアへの試乗を申し出たのだ。
その時「運のいいことに」たまたま正社員が出払い、オーナーも常連さんとの打ち合わせに熱心だったこともあり、彼女と仲が良かった僕が試乗同行を命じられた。
(今じゃバイトにこんな業務命令はあり得ないだろうが、当時は良くも悪しくもゆるい時代だった)
店先でザっと車の説明を行い、念押しにしばらくは僕が運転しながら操作方法のレクチャーをした後、コンビニの駐車場でユキノさんと運転を交代した。
普段からユキノさんとは仲良くしていたが、母親以外の女性が運転する車の助手席というものが初めてだった僕はひどく緊張した。シートに座ることで丈が短くなったスカートから覗く、彼女の太腿を包むストッキングの繊維の目が妙に記憶に焼き付いている。僕がパンストフェチに堕ちてしまったのは、これがキッカケかもしれない。
乱暴な言い方かもしれないが、さっと乗る分には、きちんと整備されたミニは日本車とあまり変わりない車だ。コンパクトな車体に右ハンドル、しかもAT。高年式のミニであれば、ハンドルとペダル類が若干オフセットし、ウィンカーレバーが左側にあるのが気になる程度だろう。(実はATだと、エンジン始動時はNレンジにするとか・・・色々あるんだけど)
最初、ユキノさんは恐る恐る運転していたが、勝手が分かってくるとだんだんと大胆になっていった。
法定速度から軽く時速20kmほどの超過も、片側2車線の幹線道路だったので、黙認していたが、ろくにウィンカーも出さずにスラロームの如く他車を追い抜き、ギリギリのタイミングで脇道から飛び出してきた軽トラに対して急ブレーキをかけつつ、ハンドルを叩きながら(恐らくクラクションを鳴らそうとしたのだと思う この年式のクラクションはウィンカーレバー先端に付いていた)「なんなんのっ!?」と毒づく。
いつものオットリしたユキノさんはそこには居なかった。僕は薄ら寒い感情がもたげてくると同時に、商品(ミニ)を守るというショップスタッフとしての使命を思い出したのだ。
「ユキノさん、これじゃあミニがビックリしちゃうから、もう少しスピードを落としてあげて・・・」
可能な限り、彼女の気に障らぬような言葉を選んだつもりだ。
「なんだかお父さんみたいなコトを言うんだね・・・いつもの運転と一緒なんだけどなぁ」
ユキノさんは少し不満そうな表情を浮かべたが、すぐにスピードを落とした。
夕方となり、道路が混雑してきたこともあり、ショップまでの帰り道は僕が運転を替わった。
帰り道の車中、気まずくなるかと心配したが、助手席にはいつものユキノさんが戻っていた。僕はホッとしたと同時に、大いにガッカリもした。
その数日後、ユキノさんは試乗したミニ・メイフェアを契約してくれた。
購入はないと思っていた僕は、驚くよりも先に、乱暴に扱われるであろうメイフェアの行く末を案じた。
納車の日、ユキノさんは「試乗に付き合ってくれたお礼に・・・」と何故か食事に誘ってくれたのだが、なんとなく行けないでいるうちに、僕は卒業論文と就職活動で多忙になった為、ショップを辞めることになった。
バイトにすぎない僕のためにオーナーは送別会を開いて下さり、仲の良かった常連さんらと共に、なんとユキノさんも参加してくれたが、僕はオーナーやスタッフ、常連さんらに揉みくちゃにされ、ユキノさんとはありきたりな言葉を二言三言交わすのが精一杯だった。
その後、大学を卒業し、就職でその地を離れたため、送別会がユキノさんとの最後の思い出となった。
完成したタミヤ模型謹製1/24ミニクーパーを片手に酒を飲みながら、あの頃を思う。
当時、女性とかかわる経験が少なかった僕は、欠点だらけで不細工な自分のことを棚に上げて、ユキノさんに対して自分勝手な理想像を作り上げてしまっていたんだ。ユキノさんなら、会社重役を乗せたトヨタ・センチュリーの運転手顔負けの優雅なドライビングをして当然だろうと。
あの試乗以降、無意識とはいえ、彼女に余所余所しい態度をとってしまったことを未だに猛省している。
そして、なんと言ってもストッキングに包まれたユキノさんの艶めかしい太腿。実は彼女の顔を鮮明に思い出せないでいるのに、この一コマだけはブルーレイと4Kテレビに負けないぐらい、正確精密に美しく鮮やかに脳裏で再生できる。
これに勝るエロスを、僕はいまだに知らない。